J-Standard/in the city TOKYO 20042004.10.01fri-10.10sun
 in the city TOKYO 2004 PROMPT REPORT from FMP express No.007 OCTOBER

10.01-06  @shibuya eggman, TAKE OFF 7, CHELSEA HOTEL, SHIBUYA BOXX レーベル・ナイト
全20レーベルの個性の中に垣間見られたシーンを支えるエネルギー
撮影・小嶋秀雄/文・兼田達矢

20レーベルが持つ「個性」への期待
 たとえば古くはアトランティックやアサイラム、イギリスならラフ・トレードやチェリー・レッド。あるいはクレプスキュールなんてレーベルもヨーロッパにはあったけれど、いわゆるレーベル・カラーというものをはっきりと感じ取れるレーベルが海外にはいくつも存在する。映画『永遠のモータウン』のヒットがCDのセールスにも跳ね返ったと言われるモータウンなどはその最たるものだろう。一方、翻ってこの国の音楽シーンを見渡したとき、そうした個性が一般の音楽ファンにまで浸透しているようなレーベルが果していくつ存在しているだろう? 正直に言って、このレポートはそうした懐疑的な地点から始まった。逆に言えば、寡聞にして意識することのなかった個性的なレーベルに出会うことを期待していたわけである。
 さて、今回のレーベル・ナイトにエントリーしたのは、昨年の9から一気に増えて20レーベル。いわゆるインディーの立場でリリース活動を展開しているレーベルが中心だが、メジャー・レコード会社と契約したアーティストを抱えたレーベルも登場。文字通り、多彩なラインナップになった。
 全国のコンサート・プロモーターが結集して生まれた“BET-TALIS”やタワーレコードのレーベル“NMNL”など成り立ちも様々で、その極めつけは四日市大学が設立したレーベル“YUME”だろう。この大学の卒業生とその兄による津軽三味線ユニット、KUNI-KENを第一弾アーティストとして活動を開始したYUMEレーベルでは、当然のことながら音源制作に学生が参加。今回のライブでも、PAや照明などステージ制作の一部を学生が担当した。in the city TOKYOは、アーティストのみならず、音楽制作のスタッフを目指している人に対しても開かれたイベントであるわけだが、思わぬ形でそうしたスタッフの予備軍に経験の場を提供することになったわけだ。
多彩さから生まれるシーンの底力
 多彩なのはもちろん成り立ちだけではない。バンドとして音を鳴らすことの心地よさを感じさせてくれるバンドが並んだ“BAD MUSIC GROUP”のステージには伝統のようなものが感じられたし、インディーらしいエキセントリシティを大切にした“Spiral Arts Records”のラインナップも楽しかった。「日本」「和」をコンセプトにしたレーベルであることをきっちりと説明し、来場者に升のミニチュアと「桜」の文字を入れたステッカーを配付してレーベルとしてのイベントであることをしっかりアピールしていた“桜レコード”の取り組みも印象的だった。
 当然のことながら、メジャー・デビューへの指向をはっきり打ち出したわかりやすい音楽を披露するアーティストが揃ったレーベルもあり、だからこそ今回集まった20のレーベルの多彩さが信頼できるものであるように思える。なぜなら、かつてのようにメジャー/インディーの明解な断絶がなく、それぞれがそれぞれの立場でアドバンテージとハンディキャップは負いながらも地続きの土俵で競い合っている現状にあっては、結局のところ個々のレーベルがどんなアーティストを揃え、どんな音楽を紹介しているのかという本質的なところに問題は集約していく。そこで、いかにもメインストリームなわかりやすい音楽があり、逆に極端にエキセントリックな表現があることは健全なことであり、ひいてはシーンの底力みたいなものを育んでいくエネルギーにもなっていくだろうと思うからだ。
会場の「平熱感」オーディエンスへの「浸透」
 そして、何よりも重要なことは、イベント開催中、激しい雨に見舞われた日があったにもかかわらず、なべてどのレーベルも堅実な動員を得ていたこと。基本的には、誰かひいきのアーティストがいて、そのアーティストを目当てにやって来た人がほとんどなのだろうが、それでも転換の間に人が出入りすることはあまり見られなかった。だから、オーディエンスの多くは結果としてその日出演したアーティストたちを束ねるレーベルの個性を、漠然とではあっても、感じることになっただろう。
 端的に言って、たとえば80年代半ばのインディーズ・ブームや何度かのバンド・ブームの時期にあった興奮状態のような感覚をレーベル・ナイトで感じることはなかった。もしかしたら、それは現在のシーンの停滞の一断面をあらわにしたのだろうか? あるいはそうかもしれない。しかし、その場を包んでいた「平熱感」とでも言うべき感覚に、むしろ僕はオーディエンスへの着実な浸透を感じた。成熟への一局面を的確に浮かび上がらせた6日間だったと思う。



(c) in the city TOKYO 2004 / FMP社団法人音楽制作者連盟 All Rights Reserved.